創建から南北朝期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 17:41 UTC 版)
「勝願寺 (古河市)」の記事における「創建から南北朝期」の解説
開基については諸説あり、井上善性によるものとも、建暦年間(1211年-1214年)に親鸞の教えを受けた明性によるものとも、善性の子で親鸞の弟子である善親によるもので、宝治2年(1248年)に信濃国水内郡藤ノ木村に創建したとも伝えられている。井上氏は信濃源氏の流れを汲み信濃国を本拠地とした豪族であり、越後国への流罪の後に、常陸国稲田周辺で布教を行っていた親鸞と出会い、帰依したものと考えられている。 貞治6年(1367年)ころには下総国猿島郡から信濃国更級郡篠井に寺基を移転したと見られている。この時期から信濃国および越後国における浄土真宗の教線を拡大させ、西久保勝善寺(長野県長野市、後の光蓮寺)と西厳寺(長野県長野市)、普願寺と中俣勝善寺(同須坂市)、願生寺(新潟県妙高市)、本誓寺(同上越市)からなる「磯部6か寺」を形成した。
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