前宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:18 UTC 版)
前宮(まえみや)は、本宮の南東約2kmの地に鎮座する。諏訪の祭祀の発祥地とされる。境内には水眼川(すいががわ)が流れる。 上社の中で一番古い社で、かつては祭事の中心地でもあった。本来は守矢氏の本拠地であったが、神氏が諏訪に進入して大祝体制が成立してから大祝に譲ったといわれている。 当地には大祝の始祖とされる有員が初めて大祝に就いて以来、大祝の居館が設けられていた。大祝は神体と同視(いわば現人神)されていたことから、その居館は「神殿(ごうどの)」と尊称され、周辺は「神原(ごうばら)」と呼ばれた。当地では代々の大祝職位式のほか多くの祭事が行われ、摂末社も多く置かれた。大祝は祭政両権を有したことから、当地は諏訪地方の政治の中心地であった。 のち諏訪氏は兵馬の惣領家と祭祀の大祝家とに分かれ、政治の中心地は惣領家の居城である上原城に移った。そして大祝の屋敷もまた慶長6年(1601年)に移転したが、祭事は引き続いて当地にて行われていた。 江戸時代までは「前宮社」として上社境外摂社筆頭の社格を有して鎮座していたが、明治以降上社の前宮と定められた。上社の祭政一致時代の姿を色濃く残していることから、現在境内は「諏訪大社上社前宮神殿跡」として長野県の史跡に指定されている。 現在の祭神は八坂刀売神となっているが、これは『続日本後紀』に記載されている「前八坂刀売神」から発生した後世の解釈であり、古文献には「前宮二十の御社宮神」が見られることから本来はミシャグジを祀る場所だったという説がある。 本殿 - 伊勢神宮の古材で作られた社殿。大祝の精進屋があったところに建つ。 神陵伝承地 - 本殿横に所在。諏訪神(建御名方神)の神陵の跡とされる。 拝所 十間廊 - 古くは「神原廊」とも呼ばれた。上社の例祭「御頭祭」が行われる。 内御玉殿(うちみたまでん) 神殿跡 - 上社の大祝が住んでいた居館の跡地。 本殿 神陵伝承地 十間廊 神殿跡 諏訪照雲頼重の供養塔 鳥居 大鳥居 峰湛(みねたたえ)
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