「前宮二十の御社宮神」とは? わかりやすく解説

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「前宮二十の御社宮神」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 17:13 UTC 版)

ミシャグジ」の記事における「「前宮二十の御社宮神」」の解説

諏訪上社前宮(まえみや)は、名前の通り上社の中で一番古い社である。その周辺は元々守矢氏本拠地で、神氏譲られたといわれている。近世まで生き神大祝がこの一帯居住したということから、「神原(ごうばら)」とも呼ばれたまた、建御名方神とその妃神八坂刀売神はここに葬られたという地元の伝承もある。 神原一帯古く祭事中心地でもあったため、いうまでもなくミシャグジとの縁が深いと言える嘉禎3年1237年)の『諸神勧請段』に載録されている以下の神楽歌から、前宮には古くは「二十ミシャグジ」が祀られていたという見解がある。 前宮ワ廿ノ御社宮神 内ノオワカタ 外ノオワカタ御社宮神ノ四ナノ孫(イト)カ モモムスフ モモムスフヤヱニホコレテ ゲキヤウメサレル (前宮二十御社宮神 内のお県(あがた) 外のお県御社宮神四十の孫(いと)が 百(もも)結ぶ 百結八重に綻れて 現形げぎょう召される) 『諏訪大明神神秘御本事大事』にも「二十御左口神王子」という呼称見られる。 これに対して石埜三千穂大祝即位式記録や古絵図をもとに前宮ミシャグジ前宮付属しているミシャグジ社)と前宮そのもの前宮社・前宮大明神)はそれぞれ別の社祠であることを推測している。石埜の説では、前宮に本来祀られていたのは「ヒトとしての大祝一族祖霊」であり、それと対比して御霊殿(うちみたまでんうちのみたまどの)に祀られているのは諏訪明神幸魂奇魂、すなわち「現人神としての大祝神格」である。石埜は「二十御社宮神」(=前宮守護する御子神社祠)を22御子神祀る御子社に比定している。

※この「「前宮二十の御社宮神」」の解説は、「ミシャグジ」の解説の一部です。
「「前宮二十の御社宮神」」を含む「ミシャグジ」の記事については、「ミシャグジ」の概要を参照ください。

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