「前宮二十の御社宮神」
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「ミシャグジ」の記事における「「前宮二十の御社宮神」」の解説
諏訪上社の前宮(まえみや)は、名前の通り上社の中で一番古い社である。その周辺は元々守矢氏の本拠地で、神氏に譲られたといわれている。近世までは生き神大祝がこの一帯に居住したということから、「神原(ごうばら)」とも呼ばれた。また、建御名方神とその妃神の八坂刀売神はここに葬られたという地元の伝承もある。 神原一帯は古くは祭事の中心地でもあったため、いうまでもなくミシャグジとの縁が深いと言える。嘉禎3年(1237年)の『諸神勧請段』に載録されている以下の神楽歌から、前宮には古くは「二十のミシャグジ」が祀られていたという見解がある。 前宮ワ廿ノ御社宮神 内ノオワカタ 外ノオワカタ御社宮神ノ四ナノ孫(イト)カ モモムスフ モモムスフヤヱニホコレテ ゲキヤウメサレル (前宮は二十の御社宮神 内のお県(あがた) 外のお県御社宮神の四十の孫(いと)が 百(もも)結ぶ 百結ぶ 八重に綻れて 現形(げぎょう)召される) 『諏訪大明神神秘御本事大事』にも「二十御左口神之王子」という呼称が見られる。 これに対して石埜三千穂は大祝の即位式の記録や古絵図をもとに前宮のミシャグジ(前宮に付属しているミシャグジ社)と前宮そのもの(前宮社・前宮大明神)はそれぞれ別の社祠であることを推測している。石埜の説では、前宮に本来祀られていたのは「ヒトとしての大祝一族の祖霊」であり、それと対比して内御霊殿(うちみたまでん、うちのみたまどの)に祀られているのは諏訪明神の幸魂と奇魂、すなわち「現人神としての大祝の神格」である。石埜は「二十の御社宮神」(=前宮を守護する御子神の社祠)を22柱の御子神を祀る若御子社に比定している。
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