「前後続集本」と「先詩後筆本」
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「白氏文集」の記事における「「前後続集本」と「先詩後筆本」」の解説
以上の様に、『白氏文集』は新たな作品を順次追加するという編集が行われていったため、『前集』50巻(=『白氏長慶集』)+『後集』20巻+『続後集』5巻という排列が原態である。この体裁を保つものを「前後続集本」という。しかし北宋に入り、読者の便宜を図り、詩を一括して前に、散文を全て後ろに編成し直した「先詩後筆本」が刊行された。そのため巻21以降の巻次が全く異なっている。南宋期には両者は混在していたが、明代に入って「先詩後筆本」が圧倒的多数となった。 現存最古の刊本である南宋・紹興本(紹興年間:1131-1162年)を始め、明・馬元調が校刻し、日本でも訓点を附した和刻本が刊行され広く流布した馬元調本など、中国に現存する刊本は全て「先詩後筆本」である。 一方、「前後続集本」は中国では消滅したが、朝鮮に伝わり、15世紀末には銅活字で、のち整版でも刊行された。この銅活字本が日本にも伝わり、江戸初期・元和4年(1618年)に那波觚(字・道円)が木活字で刊行した。同じく71巻本の那波本は、白居易の自註を相当部分削除し、また文字の異同もあるが、現在日本では底本として最もよく採用される。『白氏文集』の原編成を留める那波本は、清末に至って中国でもその存在が知られる様になり、民国8年(1919年)に刊行が始まる『四部叢刊』にて影印された。
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