制定 - 1955年の政令
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「教育功労章」の記事における「制定 - 1955年の政令」の解説
現在の教育功労章が制定されたのは、ルネ・コティ大統領、エドガール・フォール閣僚評議会議長、ジャン・ベルトワン(フランス語版)国民教育相の連名による1955年10月4日の政令第55-1323号によってである。同政令により教育功労章議定官会議は、1) 国民教育相、2)(共和国大統領によって任命される)レジオン・ドヌール勲章勲局の総裁の推薦に基づき、国民教育相によって任命されるレジオン・ドヌール勲章勲局の議定官、3) 国民教育省中央管理局の各局長、4) 国民教育監察総監、5) 国民教育・研究管理監察総監によって構成され、国民教育相が同会議の議長を務める。これは60年後の2015年6月10日の政令第2015-652号による教育功労章の最終修正時にも変わっていない。等級も現在のシュヴァリエ(騎士、3等)、オフィシエ(将校、2等)、コマンドゥール(司令官、1等)の3等級が定められた。勲章の意匠は、これまで英知、平和、豊穣、栄光の象徴であるオリーブの木と成功の象徴である月桂樹をデザインしたものであったが、金具工芸師のレイモン・シューブ(フランス語版)が1808年制定の勲章と同じように棕櫚の枝2本をデザインした意匠を制作した。なお、シューブは芸術文化勲章の意匠も制作している。 1963年にシャルル・ド・ゴール大統領が従来の複数の勲章を廃止し、これらに代わるものとして国家功労勲章を制定した際にも、クリスチャン・フーシェ(フランス語版)国民教育相の要請により、教育功労章は(芸術文化勲章、農事功労章(フランス語版)、海事功労章(フランス語版)とともに)維持されることになった。 1962年に共和国大統領および国民教育省の後援により教育功労章受章者(会員)協会(AMOPA)が設立され、1968年に公益認定を受けた。 2002年4月19日の政令第2002-563号により、各等級の年間受章者数の上限がシュヴァリエ7570人、オフィシエ3785人、コマンドゥール280人に定められ、さらに、2018年8月29日の政令では、シュヴァリエが4547人、オフィシエが1523人と半数以下に制限された。
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