初期ヨーロッパ人の開拓と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 19:09 UTC 版)
「ミネソタ州の歴史」の記事における「初期ヨーロッパ人の開拓と発展」の解説
ヘンリー・ヘイスティングス・シブリーが1838年にミネソタ準州では最初の石造りの家をメンドータに建て、また1825年から1853年までそこで動物の生皮を購入したアメリカ毛皮会社によって使われる石灰岩製の建物も建てた。ミネソタにおいて初期経済の発展をみた他の分野は製材業であった。伐採者はホワイトパインが特に貴重なことを見付けたが、この木は州の北東部やセントクロワ川渓谷に豊富にあった。鉄道が出来る前の製材業者は材木を市場に送り出すために川の舟運に頼ったが、これがミネソタの木材資源を魅力的なものにした。マリーン・オン・セトクロワやスティルウォーターのような町がセントクロワ川で運ばれる木材の重要な集積地となり、ウィノナにはミネソタ南部やミネソタ川沿いの木材が集められた。当時の製材業には規制が無く、また厳しい渇水が1894年に起こり、ヒンクリーの大火はパイン郡のヒンクリーやサンドストーンの町の480平方マイル (1250 km2)を焼き尽くし、400人以上の住民が死んだ。 ミシシッピ川の東岸にあるセントアンソニーは後にミネアポリス市の一部となり、ラム川から供給される木材の重要な製材業の中心であった。1848年、事業家のフランクリン・スティールがセントアンソニーの滝の側に最初の私営製材所を建て、直ぐにさらに多くの製材所が続いた。セントアンソニーに今も建っている最古の家はアード・ゴッドフリーの家であり、1848年に建てられ、アードとハリエットのゴッドフリー夫妻が住んだ。ミネアポリス市の西岸で最初の家、ジョン・H・スティーブンスの家は何度か移し替えられ、最終的に1896年にミネアポリス市南部のミネハハ公園に建てられた。
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