初マラソン - 大阪国際女子マラソンで2位とは? わかりやすく解説

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初マラソン - 大阪国際女子マラソンで2位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 19:18 UTC 版)

松野明美」の記事における「初マラソン - 大阪国際女子マラソンで2位」の解説

1991年世界陸上東京大会では、10000m出場した松野故障上がりということもあり予選12位に終わり決勝進出は成らなかった。予選レース後の記者会見では泣きながら「この小さな身体でよく頑張った自分褒めてやりたい」とコメント今後長距離トラック競技からフルマラソン種目転向する事を表明する松野自身初マラソン挑戦となった1992年1月バルセロナオリンピック女子マラソン代表選考レース兼ねた大阪国際女子マラソンでは、スタート直後から積極的に日本人首位争い集団加わっていた。だが、大阪城公園内に入った26Km地点過ぎた辺りで、先頭を走る小鴨由水浅利純子(共にダイハツ工業所属)らのハイペースについていかず、カトリン・ドーレドイツ)と朝比奈三代子旭化成)の第2集団待機する。33Km過ぎ、松野はその第2集団から自ら抜け出してロングスパートを開始残り5Km付近(約37.2Km地点)でペースダウンした浅利らを抜き去り独り首位ひた走る小鴨必死に追い掛けるも、その差が全く縮まらないままゴール地点長居陸上競技場へ。松野同じくこの大阪国際が初マラソンだった小鴨が、2時間2626秒でレース当時日本女子最高記録と及び初マラソン世界最高記録マークして初優勝果たし、それから36秒後に松野日本最高記録当時有森裕子の2時間2801秒)を59上回る、2時間2702秒の好記録2位に入る。この結果を受け、前1991年8月開催世界陸上東京大会女子マラソンにおいて2時間2957秒で日本女子トップ2位入賞銀メダル獲得により、既に日本代表内定していた山下佐知子と、大阪国際女子マラソン優勝者小鴨二人と共に松野女子マラソン種目で「バルセロナ五輪代表入りはほぼ確実」とも言われていた。

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