初テストと生産契約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:49 UTC 版)
「AGM-62 (ミサイル)」の記事における「初テストと生産契約」の解説
1963年1月に、YA-4B スカイホークのパイロットは、チャイナレイクで最初のウォールアイを投下し、投下された爆弾は直撃を記録した。マーティンは1966年に最初のウォールアイの生産契約を受け、翌年アメリカ海軍とアメリカ空軍の両軍で運用に入った。 最初のウォールアイ Iは、1,100ポンドの成形炸薬を搭載し、16海里 (30 km)の射程を持っていた。1962年に陸海空軍統一の新しいミサイル・ロケットの命名規則が制定されたため、ウォールアイはAGM-62という制式名称を与えられた。設計番号こそ62と大きいが、初めて最初から新命名規則によって制式名称を定められたものが実はウォールアイであった。 1から61までの設計番号はそれまでに開発されたミサイル及びロケットを改名及び統一するためにすでに使われていた。しかし、推進装置を持たないウォールアイは結局ミサイルとはみなされず、爆弾として扱われることになったため最初に割り当てられたAGM-62A以降のAGM-62シリーズの名称は存在しない。代わりにMk1から始まるMk番号及びその改善を示すMod番号で呼ばれることになった。
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