分裂:二人の別居
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「プラスティック・オノ・バンド」の記事における「分裂:二人の別居」の解説
1973年1月8日、オノは「ヨーコ・オノ/プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・エレファンツ・メモリー、エンドレス・ストリングス・アンド・クワイア・ボーイズ」名義で『無限の大宇宙』をリリースすると、シングル「女性上位万歳」を「ヨーコ・オノ・アンド・プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・エレファンツ・メモリー」名義で、日本限定リリースを行った。 4月1日、レノンはオノとニューヨークで会見を開き、概念上の国家「ヌートピア」の建国を宣言した。 6月3日、オノはマサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大学で全米女性機構(NOW)の主催で行われた第1回国際フェミニスト会議に招かれ、講演を行った。その際、レノンを従えてライヴ・パフォーマンスも行った。この会議の参加者との交流で触発され多くの曲を作ったオノは、出来上がった曲をアルバムにすべく、デヴィッド・スピノザなどニューヨークのセッション・ミュージシャンを集めてレコーディングを開始した。このアルバム『空間の感触』が完成すると、レノンも新しいアルバムを同じメンバーで録音したいと考え、7月から8月にかけてレコーディングを行った。セッション開始直後にオノの提案で別居が始まると、レノンは終了後にロサンゼルスに移住した。 10月29日にアルバム『マインド・ゲームス(ヌートピア宣言)』を「ジョン・レノン/ザ・プラスティック・ユー・エフ・オノ・バンド」名義でリリース、続いて11月2日に『空間の感触』を「ヨーコ・オノ/ザ・プラスチック・オノ・バンド・アンド・サムシング・ディフレント」名義でリリースした。 1974年7月から8月にかけて、レノンはアルバム『心の壁、愛の橋』のレコーディングを行った。9月23日に「ジョン・レノン・ウィズ・プラスティック・オノ・ニュークリアー・バンド」名義でリリースした、エルトン・ジョンが参加した先行シングル「真夜中を突っ走れ」はレノン初の全米1位となり、3日後の26日にリリースされたアルバムも『イマジン』以来の全米1位となった。 一方、オノは8月10日から19日の間、「ヨーコ・オノ&プラスティック・オノ・スーパー・バンド」として5都市6公演の日本ツアーを行った。ツアーに先立ち、日本限定シングル「夢を持とう/イット・ハプンド」をリリースした。ツアーの初日は7月31日から8月10日の間、 福島県郡山市の開成山公園で開催された『ワンステップフェスティバル』の最終日に行われた野外ロックコンサートだった。なお、当時レノンとオノは別居状態が続いており、「プラスティック・オノ・バンド」の音楽活動の中で生前唯一レノンが全く関わっていないものとなった。
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