出雲電気との合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 16:35 UTC 版)
1911年11月、松江電灯・浜田電気に続く島根県で3番目の電気事業者として出雲電気が設立された。同社は翌1912年8月に簸川郡今市町(現・出雲市)などを供給区域として開業する。1915年(大正4年)10月には神戸川に出力300キロワットの窪田発電所を新設した。 北原発電所を完成させた松江電灯では、供給先の拡大を図るべく今市・平田など有望な地域を供給区域に含む後発の出雲電気に着目し、開業したばかりの同社に対し合併を持ち掛けた。このときの合併話は、開業間もないこと、また出雲電気が才賀藤吉率いる才賀電機商会傘下の企業であることから具体化されることはなかった。その後才賀電機商会が破綻して同社に代わり日本興業という会社が筆頭株主となると、再び松江電灯との合併話が浮上する。事業基盤の強化と設備運用の合理化を図れる松江電灯側と、有利な条件での出雲電気の処分を志向する日本興業側の思惑が一致した結果であった。1916年(大正5年)から出雲電気専務山本福太郎と松江電灯取締役(前社長)織原万次郎の間で合併交渉が始まり、翌1917年(大正6年)1月18日合併契約の締結に至った。 合併条件は、出雲電気を存続会社とするもので、松江電灯は合併により解散するものとされた。合併に伴い出雲電気は新株2万6000株を松江電灯の株主に対し持株1株につき1.3株の割合で交付する。従って、合併時の資本金は出雲電気が35万円、松江電灯が100万円(1916年10月に倍額増資をしていた)であったが、合併後の出雲電気の資本金は165万円に増加することとなった。手続後、1917年4月6日付で合併が成立し、松江電灯は解散した。 松江電灯を吸収した出雲電気では、本社を松江市の旧松江電灯本社へと移転する。役員についても総改選され、社長には松江電灯前社長の織原万次郎が就任し、その他の役員は6対4の割合で松江電灯側から多く選ばれた。以後、新体制となった出雲電気は配電統制で解散するまで島根県の中核事業者として発展していくことになる。
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