出生から幕末期・大小切騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/09 07:14 UTC 版)
「田辺有栄」の記事における「出生から幕末期・大小切騒動」の解説
甲斐国山梨郡下於曽村(現・山梨県甲州市塩山下於曽)に生まれる。幼名は栄次郎。田辺家は御三卿領である田安家領で郡中総代を務める家柄で、当主・田辺周右衛門の長男。『東山梨郡誌』による略歴によれば、田辺は甲府の徽典館で学んだという。幼くして村内抗争で両親を失い一時は駿河国の幕臣河辺家に移る。1870年(明治3年)、明治維新後に帰郷し、下於曽村の名主となる。 明治維新を経た山梨県では、1872年(明治5年)に県庁が甲斐独自の税制であった大小切税法廃止を断行し、国中三郡の百姓を中心に反対運動が激化し、大小切騒動が起こる。田辺には山梨郡隼村(現・山梨県山梨市)へ養子に行った叔父の倉田利作がいた。江戸期以来の大小切税法存続運動にも参加していた倉田は騒動に荷担し、田辺は各村惣村の依頼により嘆願書の起草を行っている。騒動鎮圧後には倉田をはじめ関係者は処罰されているが、田辺は贖罪金のみで謝罪される。『郡誌』によれば以来数年間は謹慎していたと言われるが、田辺家資料では山梨郡勧業掛となり、青梅街道の開削に務めている。
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