出生から広島市長就任まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 09:15 UTC 版)
「渡辺忠雄 (政治家)」の記事における「出生から広島市長就任まで」の解説
広島県山県郡北広島町(旧・大朝町)出身。1924年(大正13年)に中央大学法律科を卒業後に、大阪地方裁判所、大阪地方検事局に勤務の後、1928年(昭和3年)に弁護士として開業。東京弁護士会常議員や日本弁護士会理事などを務めた。また、広島精機や昭和造機の代表取締役も務めていた。 1946年(昭和21年)4月10日の第22回衆議院議員総選挙では、広島県全県区に日本自由党から出馬して当選したが、間もなく公職追放の憂き目に遭う。1951年(昭和26年)に公職追放解除後に、第25回衆議院議員総選挙(1952年10月)、第26回衆議院議員総選挙(1953年4月)にも広島県第1区に自由党から出馬するも落選。第27回衆議院議員総選挙(1955年2月)については出馬を見送り市長選に備えた。
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