冉魏を滅ぼす
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352年4月、輔国将軍慕容恪・五材将軍封奕と共に、華北最大の勢力である冉閔討伐のために安喜へ進軍した。冉閔がその気勢を憚って常山へ後退すると、これを追って軍を転進させ、泒水の南岸にある廉台(現在の河北省石家荘市無極県の東)において両軍は対峙した。前燕軍は冉閔に大いに苦しめられたものの、敢えて敗れた振りをして敵軍を本陣に誘い込み、これを挟撃して大いに破った。これにより7千人余りを討ち取り、冉閔とその将兵を捕らえて慕容儁のいる薊へ送った。 352年4月、輔弼将軍慕容評と侯龕が精鋭騎兵1万を引き連れて冉魏の都である鄴へ侵攻したが、守将の蒋幹はこれを阻んだ。5月、慕容儁の命により皇甫真は広威将軍慕容軍・殿中将軍慕輿根らと共に騎兵歩兵併せて2万を率いて加勢に向かい、共に鄴を攻めた。8月、前燕軍は鄴を陥落させた。鄴には珍品や宝貨が山のように積まれていたが、皇甫真は一切略奪を行わず、ひたすら城内の人心を安んじる事に努め、ただ図書・典籍のみを手中に収めたという。 同年11月、慕容儁が帝位に昇ると、皇甫真は尚書左僕射に任じられた。
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