典型的なルート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 04:26 UTC 版)
「ヒッピー・トレイル」の記事における「典型的なルート」の解説
ヒッピー・トレイルの旅は西ヨーロッパの諸国、特にロンドンやアムステルダムといった都市を出発点とするのが典型的であった。アメリカ合衆国からの旅行者は多くアイスランド航空でルクセンブルク市へと渡り、そこからイスタンブール、テヘラン、ヘラート、カーブル、ペシャーワル、ラホール、デリー、ワーラーナシー(当時ベナレスと呼ばれていた)などの「主要な」場所を経由し、ゴアもしくはカトマンズを最終目的地としていた。カトマンズでは今日でもJochen Tole通りがここを通った無数のヒッピーたちを記念して「フリーク・ストリート」と呼ばれている。トルコからシリア、ヨルダン、イラク、イランと渡りそこから東進するルートもあった。南インド、スリランカ(当時セイロン)、さらに南東に進みオーストラリアにまで至るさらなる旅も行われることがあった。 1970年代後半にはこうした陸路の旅は政治情勢の変化に悩まされた。ソビエト連邦はアフガニスタンに侵攻し、イランではシャーがイスラム革命により退位させられた。それでも、「サンダウナーズ」や「トップデック」(en:Topdeck)といった旅行業者はパキスタンのバローチスターン州を経由するルートを開拓した。トップデックはイラン・イラク戦争やその後の紛争の時期にあっても旅行を継続していたが、1998年には撤退した。 イランの出入国管理の緩和によってこのルートは再びどうにか実現可能なものとなったが、イラク、アフガニスタン及びパキスタンの一部地域で続いている紛争のため通過は容易ではない。
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