兵学校から士官へとは? わかりやすく解説

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兵学校から士官へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 01:47 UTC 版)

島村速雄」の記事における「兵学校から士官へ」の解説

海軍兵学寮でも、変わらず秀才であった島村は、本科では常に首席であり、「兵学校7期島村あり」と言われるほど名を知られるようになった。この兵学校時代では、イギリス式海軍規律初め触れとともに吉松茂太郎加藤友三郎らとの親交持った23歳兵学校卒業して海軍少尉補となり、軍艦扶桑」の乗組員に任ぜられる。当時甲板士官であった兵学校1期先輩である斎藤実は、転任の際、後任として誰を推薦するかと問われ島村即答している。その後島村少尉昇り軍艦浅間乗務転任する。 当時日本隣国清の海軍は、二大戦艦定遠」「鎮遠」を備え生まれたばかりの日本海軍にとって多大な脅威であった。これに早くから危機感抱いていた島村は、独学砲術を学ぶようになる戦術専門家が軍内に育っていなかった当時のこと、島村浅間乗務のまま砲術教授となり、その働き認められ中尉昇任する。島村戦術をまとめた論文アメリカ海軍軍人著作抄訳であったが)を発表したり、戦術実地演習演習法を考案したりと、海軍戦術進歩貢献していく。それらの功績から大尉に昇った島村は、明治22年1889年)からイギリス3年出張しイギリス海軍ノウハウ学び、自らの戦術立案能力磨きをかけることになる。

※この「兵学校から士官へ」の解説は、「島村速雄」の解説の一部です。
「兵学校から士官へ」を含む「島村速雄」の記事については、「島村速雄」の概要を参照ください。

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