共和国大統領とは? わかりやすく解説

共和国大統領

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:56 UTC 版)

エイモン・デ・ヴァレラ」の記事における「共和国大統領」の解説

アイルランド独立戦争最中1919年1月デ・ヴァレラ帰国待って行われたドイル第1回議会において、デ・ヴァレラIRA対し英国政府からテロリズム呼ばれるような行動、待ち伏せなどのゲリラ戦術をやめ、正々堂々と戦うよう求めた。しかし、装備規模ともにまさる英国軍アイルランド兵が正攻法立ち向かえるはずはなかったため、この発言現実離れしたものと徹底的に批判されデ・ヴァレラあわててIRA対す支持を再表明しなければならなかった。デ・ヴァレラ図らずも独立戦争厳し現実対す認識甘さ露呈することになった次にデ・ヴァレラカハル・ブルハ、オースティン・スタックと組んでマイケル・コリンズアメリカで交渉送り込もう画策した。この3人はコリンズ人気自分たちのそれをしのいでいることを危険視し、体よく追い払いたいと考えていた。しかしコリンズはこの申し出拒否してアイルランドとどまった1921年8月デ・ヴァレラドイル・エアラン1919年ドイル憲法の改正指示し、自らの職を議長から共和国大統領へと昇格させた。これによってデ・ヴァレラ自分アイルランド元首としてジョージ5世英国王同等立場立っており、和平交渉1921年10月 - 12月)に国王出席しない以上、自分出席する要はないと表明した。この交渉では英国側が大きく譲歩しアイルランド北部6県現在の北アイルランド)を除く諸州の独立勝ち取った。こうして成立したのがアイルランド自由国である。プロテスタントの多い北部6県連合王国のもとに残ることになった厳密に北部6県には、アイルランド自由国連合王国どちらか所属するかの選択の自由与えられており、連合王国への帰属選択した)。この結果受けて国境策定委員会設置され話し合いによって北部6県アイルランド自由国の間の国境画定することになったこのようなやり方には多くの者が不満を持ったが、コリンズ条約賛成派国境委員会での交渉持っていきようによっては北部6県経済的に立ち行かないようにさせることができ、最終的に全土アイルランド自由国組み込むことができるであろうと考えていた。

※この「共和国大統領」の解説は、「エイモン・デ・ヴァレラ」の解説の一部です。
「共和国大統領」を含む「エイモン・デ・ヴァレラ」の記事については、「エイモン・デ・ヴァレラ」の概要を参照ください。

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