共同幻想と自己幻想の逆立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 06:20 UTC 版)
「共同幻想」の記事における「共同幻想と自己幻想の逆立」の解説
吉本は、共同幻想は自己幻想に必ず逆立すると主張する。個人を守るための共同体が、個人を束縛し、弾劾するのである。個人に対する社会的ルールの強制などがそれである。逆立性が極限まで高まると、国家が戦争などで個人に死を強制し、それを殉教である、英霊であると賛美するなどという状況も起こる。 「逆立」とは吉本の造語であるが、吉本はこれに対して明確な定義を行っていない。文脈によって、対立や抑圧という意味合いであったり、単純に質的な差異があるという意味であったり、よそよそしいとか冷淡、欠如、虚偽というような意味合いもあり、多義的である。逆立が成立する過程で、共同幻想と自己幻想の関係性には段階的な変化もあるらしい。 吉本は、常に共同幻想は自己幻想に勝利すると主張している。個人がいくら努力しても変えられない巨大なマクロ的な力(時代の流れや歴史の流れ)が存在するという、ある種の諦観と解釈できるかもしれない。太平洋戦争に敗北し、革命にも挫折した吉本の個人的体験が大きく影響しているかもしれない。どんな野心的な独裁者であれ、どんな優秀な革命家であれ、世界を意のままに操ることまでは不可能なのである。 吉本にとっては、自己幻想が共同幻想を完全にコントロールするという発想そのものが、そもそもカテゴリー錯誤なのである。これらはそれぞれ別々の運動法則で動いているのだから。 逆にどれだけ共同幻想が強制させても、自己幻想を完全にコントロールできる力は存在しないのである。個人の心の中には、自然法則も超越する絶対的自由がある。他人に話せば、妄想と笑うかもしれないが、詩や芸術がそうである。
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