公的な決定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/25 14:45 UTC 版)
「アル=ケ=スナンの王立製塩所」の記事における「公的な決定」の解説
新しい製塩所を建設するということは、1773年4月29日に決議された。建設予定地は、徴税請負事務局の監督下にある技術委員会によって決定された。その予定地となったのが、旧アルク村と旧スナン村の間(現在両村は合併してアル=ケ=スナン)である。ここが選ばれた理由はいくつかある。まずは、平地であり、ルー (Loue) や4万アルパン以上の広さを持つショーの森に近いことである。次に、大陸の中央部に位置し、ドール運河で地中海と連絡しており、ライン川を通れば北海やアントウェルペン湾に出られる交通の便のよさもある。加えて、当時スイスの塩需要が大きかったため、この国に近かったことも要因となった。計画では年間6万トンの塩生産を見込んでいた。 同じ年に、王は利益を求めて、« Manutention générale des Salines » にジャン=ルー・モンクラール (Jean-Roux Monclar) を中心とする企業家集団を加え、彼らに24年間の使用許可を与えた。モンクラールは収益を意識していたために、ルドゥの最初の計画を拒否した。国王によって認可されることになる建設計画は、製塩所の資金調達と建設を、使用許可も込みでモンクラールに委ねたのである。ルドゥは最初の計画案とは全く異なる第二案を提示することで面目を保った。 ルイ15世は、崩御(1774年5月10日)の直前の同年4月27日にこの計画を認可した。10月28日には Trudaine によって計画に署名がなされた。
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