入塾、文部省出仕とは? わかりやすく解説

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入塾、文部省出仕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/24 16:20 UTC 版)

九鬼隆一」の記事における「入塾、文部省出仕」の解説

明治3年1870年2月川本幸民私塾入学し閉校までの数か月教え受けた同年11月には少参事の職を退き翌年2月慶應義塾(後の慶應義塾大学)に入塾して英語などを学んだこの頃から隆一と名乗っている。明治5年1872年4月文部省十一出仕し大学南校監事、同9月には大学東校事務主任となる。 当時国内教育予算のうち40%弱が海外派遣されていた260名の留学費用充てられており、文部省としては彼らの留学打ち切ってその費用外国人教師お雇い外国人)を招聘することを考えていた。留学生薩長土肥高官明治維新功績の子弟が中心であり、特権的な留学による身分固定化への危惧優秀な学生機会獲得のため、九鬼文部省方針積極的に賛同していた。 そこで、現地留学生実態調査帰国説明説得にあたるため、九鬼明治6年1873年)に渡欧している。当時留学生中には井上毅井上和郎などもおり、当初は強い反発受けたが、中江篤介(後の中江兆民)の理解などもあって最終的に全員承諾を得ることができた。なお、制度変更後の第1回国費留学生には、政治家となった鳩山和夫外交官となった小村寿太郎などの人材がおり、結果的に九鬼目標達成されと言える

※この「入塾、文部省出仕」の解説は、「九鬼隆一」の解説の一部です。
「入塾、文部省出仕」を含む「九鬼隆一」の記事については、「九鬼隆一」の概要を参照ください。

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