党名の変更と綱領の改正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/29 04:15 UTC 版)
「四月テーゼ」の記事における「党名の変更と綱領の改正」の解説
レーニンは1917年6月に『党綱領改正資料』を発表し、綱領改訂の草案を示した。草案は四月テーゼの主張を反映したものとなった。 旧綱領は、ツァーリ専制を打倒して民主的共和制に変えることを党の当面の政治的任務としていた。改正案は、「一般に経済的発展と人民の権利とを、またとくにもっとも苦痛のすくないやり方で社会主義に移行する可能性をもっともよく保障するような国家制度のためにたたかうこと」を任務とし、さらに具体的に「議会主義的代議機関は、立法をおこなうとともに自分の法律を執行もする人民代表ソヴェトに、しだいに代えられる」と規定した。 銀行やトラストの国有化の要求を追加した。「一方では、銀行業やトラスト化された産業部門で資本主義がすでに高い発展段階に到達しており、他方では、帝国主義戦争のひきおこした崩壊が、いたるところで重要物資の生産と分配にたいする国家的、社会的統制を必要としているので、党は、銀行、シンジケート(トラスト)等々の国有化を要求する。」 農業綱領は全面的に書き換えられた。改正案は、すべての地主所有地の没収、農民代表ソヴェト等への土地の引き渡し、すべての土地の国有化、地主の家畜や農具の農民委員会への引き渡し、大規模な模範農場、を要求するものとなった。 1917年7月から8月にかけて開かれた第6回党大会では、党名の変更や綱領の改正は討議されなかった。党名の変更は十月革命後の1918年3月に開かれた第7回党大会で決まった。綱領の改正については1919年3月の第8回党大会で改正された綱領が採択された。状況の変化を反映し、綱領はソヴェト権力の任務を規定するものとなった。
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