党名変更、民主党への合流を模索
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「社会民主党 (日本 1996-)」の記事における「党名変更、民主党への合流を模索」の解説
1996年1月の日本社会党第64回大会での名称変更決定を受け、3月に第1回大会を開き結成された。初代党首は日本社会党の村山富市委員長が引き続き務め、幹事長には佐藤観樹が就任した。村山内閣総辞職により成立した第1次橋本内閣に引き続き与党として参加し、自社さ連立政権の枠組みを維持した。一方、党名変更と自社さ連立政権に批判的な左派勢力は、1月に離党し新社会党を結党した。 結党時はさらに新党を作るための過渡的政党との位置づけであり、新進党にかわって反自民勢力の中核となりつつあった民主党(いわゆる「旧民主党」)への合流も模索したが、総選挙を控えた1996年9月に民主党は社民党・新党さきがけの長老議員で新党結成に消極的であった者の参加を拒否した(これに批判的なマスメディアなどからは「排除の論理」と呼ばれた)。拒否されなかった佐藤観樹ら右派系および一部左派の議員多数は別個に民主党へ参加したが、社民党としては単独で総選挙を戦うことになる。
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