充実の大西主将時代
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「コベルコ神戸スティーラーズ」の記事における「充実の大西主将時代」の解説
1991年度、主将は平尾から大西一平にバトンタッチされた。大西はFWの選手である立場もあってか、平尾主将時代にはともすれば軽視されがちだったコンタクトプレーの徹底など、ハード面を重視した。また、当時現役の日本代表で、1年から早稲田大学のSHとして活躍した堀越正巳、青山学院出身のWTB冨岡剛が加入し、2人は1年目からレギュラーの座を射止めたが、この2人の加入により、BK陣はそのまま当時の日本代表レベルに匹敵する陣容となった。選手層に厚みを増した当チームは、全国社会人大会(花園)決勝で前年に引き続き三洋電機と対戦したが快勝し4連覇。1992年1月15日に行われた日本選手権では、これまた前年に引き続き明治大学との対戦となったが、ここでも快勝し、4連覇を達成した。 1992年度、当時現役のアイルランド代表フランカー(FL)だったマーク・イーガンが公式戦に出場できることになったが、大西は、イーガンがLOもこなせることに着眼し、大八木をFLにコンバートさせた。全国社会人大会では、2回戦で対戦したマツダ、準決勝で因縁の対戦となった三洋電機、決勝の東芝府中と、いずれも厳しい戦いを強いられたが勝利して5連覇を達成。1993年1月15日に行われた日本選手権でも、法政大学に勝利してこちらも5連覇を達成した。 1993年度、イアン・ウィリアムスが古傷が癒えない理由から欠場が目立つなど、決してチーム状態は万全とはいえなかったが、全国社会人大会決勝(花園)で三洋電機に快勝して6連覇。1994年1月15日に行われた日本選手権では、元木由記雄主将の明治大学と対戦。中盤で苦戦するシーンも見られたが、最後は貫禄勝ちを収めてこちらも6連覇を達成。この勝利を花道に、大西は主将を細川隆弘にバトンタッチした。
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