儀峨徹二とは? わかりやすく解説

儀峨徹二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/04 21:00 UTC 版)

儀峨 徹二(ぎが てつじ、1885年(明治18年)4月29日 - 1965年(昭和40年)1月27日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

福井県出身。儀峨秀霊の二男として生まれる。小浜中学卒業を経て、1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校(19期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第20連隊付となる。歩兵第67連隊付などを経て、1914年(大正3年)11月、陸軍大学校(26期)を卒業した。

1915年(大正4年)8月、参謀本部付勤務となり、1917年(大正6年)3月、陸軍委託学生として東京外国語学校専修科(英語)を修了。その後、参謀本部付、参謀本部員、陸軍省軍務局課員、陸軍航空部員を歴任。1922年(大正11年)8月、歩兵少佐に昇進。同年11月、国際連盟空軍代表随員となり、1924年(大正13年)9月に帰国し陸軍航空部員に就任。1925年(大正14年)5月、兵科航空兵科に転じ航空兵少佐となり、飛行第7連隊副官に発令。1925年(大正14年)7月、参謀本部員に転じ、1926年(大正15年)8月、航空兵中佐に進級。同年12月、飛行第4連隊大隊長に就任し、下志津陸軍飛行学校教官、明野陸軍飛行学校教官を歴任。1930年(昭和5年)8月、航空兵大佐に昇進。1931年(昭和6年)1月、参謀本部付(タイ駐在)となり、飛行第1連隊長、明野飛行学校幹事を歴任。1935年(昭和10年)8月、陸軍少将に進級し所沢陸軍飛行学校付に発令。

1935年12月、熊谷陸軍飛行学校長に就任し、第1飛行団長に転じ日中戦争に出征。1938年(昭和13年)3月、下志津飛行学校長となり、同年7月、陸軍中将に進んだ。同年11月、第2飛行集団長に就任し満州に赴任。次いで浜松陸軍飛行学校長を務め、1941年(昭和16年)10月、予備役編入となった。

1943年(昭和18年)4月、翼壮福井団長に就任。1945年(昭和20年)3月、召集され福井地区司令官となり終戦を迎えた。1945年10月に召集解除された。

親族

  • 兄 儀峨璋助(海軍少尉、戦死)
  • 弟 儀峨辰三(陸軍航空兵中尉、墜死)

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。




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