僭主政治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 15:37 UTC 版)
詳細は「僭主」を参照 紀元前7世紀中ごろ以降のアルカイック期は、しばしば「僭主時代」と呼ばれる。ギリシアの歴史上最初の僭主は、紀元前655年のクーデターで実権を握ったキュプセロスである。彼に続いてシキオンのオルタゴラスやメガラのテアゲネス(英語版)が台頭した。 紀元前7世紀における僭主の台頭については様々な説明がされてきた。最も有名な説明は、貴族政に我慢ならなくなった民衆が立ち上げたものだとするアリストテレスのものである。しかしその時代に貴族が横柄になっていったという証拠はどこにもないので、現代では他の原因を見つけ出そうとしている。それに反して、Drewsは、僭主政治は私的な軍隊を指揮する個人によって成立し、初期の僭主たちは民衆の支持を一切必要としていなかったとしている。一方Hammondは、僭主政治が寡頭政治において、統治者と民衆ではなく、統治者同士の政敵との争いの中で成立したと指摘している。 また、紀元前7世紀の「僭主時代」の存在自体に疑念を抱いている歴史家もいる。Victor Parkerによれば、アルカイック期において、ギリシア語のテュラノスという言葉はアリストテレスが『アテナイ人の国制』で使用したような、否定的な意味を含んでいなかったという。アルキロコスがテュラノスという言葉を使った当時、それはギリシア語で「王」を意味するアナクス(anax)の同義語でしかなかったというのである。Parkerは、テュラノスという語が初めて否定的な意味に使われたのは紀元前6世紀の前半に、キュプセロスがコリントスで苛政を敷いた時のことであるとしている。トゥキディデスの時代までは、テュラノスとバシレウス(basileus)という言葉は明確に区別されていなかった。同様に、Greg Andersonも、アルカイック期の僭主は苛政を敷いたわけではなく、同時代の他の統治者とも区別されないとしている。
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