僭称者としての六角氏郷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 08:46 UTC 版)
寛文(1661年 - 1673年)頃には神戸能房が『伊勢記』において「氏郷云己称其子孫、偽作江源武鑑、剰今世三十巻之大系図(氏郷と称する自称子孫が、江源武鑑や大系図などの偽書を作成した)」としており、この頃には「六角氏郷」を称した人物が存在していたことが示される。貞享年間(1684年-1688年)頃には「六角兵部氏郷」の筆による六角氏系図が作成されている。加賀藩士佐々木定賢は、宝永5年(1708年)の『佐々木氏偽宗辯』において、六角兵部氏郷を称する「沢田武兵衛の子」が京都で「中務大輔」の官途を称して六角市に関わる偽伝を流布させたとしている。建部賢明はこの「氏郷」の通称が源内であったとしている。
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