僭主復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 10:02 UTC 版)
アクラガスからの難民がシュラクサイに到着すると、その何人かがシュラクサイの将軍を非難した。集会が開かれ、アクラガスで勇敢に戦ったディオニュシオスが、これらの告発を支持した。彼は会議の規則を破って罰金を科されたが、彼の友人のフィルストスが罰金を支払った。集会ではダフナエウスと何人かの将軍を解雇し、新規に指揮官を選んだ。ディオニュシオスもその一人であった。アクラガス難民は最終的にレオンティノイ(現在のレンティーニ)に落ち着いた。やがて、カルタゴ軍が接近しているため援助を請うとの知らせがゲラから届いた。 ディオニュシオスは自身の力を拡大する計画を始めた。彼は政府に対して政治的追放者(元ヘルモクラテスの部下)を呼び戻させ、スパルタの将軍デクシップスが司令官を務めるゲラに進軍した。ディオニュシウスはゲラの政治的不和につけ込んで、数人の将軍を非難して死に至らせた。死んだ将軍たちの資産を没収し、彼の兵士達に2倍の給与を与えた。その後、同僚の将軍達がカルタゴから賄賂を受け取ったと非難するためにシュラクサイに戻った。シュラクサイ政府はディオニュシオス以外の将軍達を解任し、ディオニュシオスを総司令官に任命した。ディオニュシオスはレオンティノイに進軍し、そこで開催された集会において、レオンティノイは親衛隊として600名の兵を与えた。さらに後には親衛隊は1,000名に増強された。続いてデクシップスを追放し、ダフナエウスと他のシュラクサイの将軍を処刑した。ディオニュシオスは独裁的な権力を得て僭主政が復活した(在位:紀元前405年-紀元前367年)。
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