僧院院長時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 08:50 UTC 版)
1294年にはアルビ僧院で神学を教えるまでになった。翌1295年には、アルビ僧院の院長になった。その後、1307年までにカルカッソンヌ、カストル、リモージュの僧院の院長を歴任した。アルビとカルカッソンヌ(1297年-1301年在籍)は、当時でも反異端審と反ドミニコ会の動きがあり、ギーは自身の本の中で、人生において最も苦しいときだったと書いている。アルビやカルカッソンヌにおける反ドミニコ会の動きが鎮圧された件については、自身の本である『トゥールーズ管区説教僧団諸僧院の歴史』の中で、反ドミニコ会の人間達に対して辛辣な表現で批判している。基本的に事実を淡々と書くのが持ち味のギーであったが、この記録に関しては珍しく感情を表に出して文を書いている。なお、1295年から1307年までの院長の歴任時代に、僧団の歴史をまとめた本を書き、ドミニコ会僧長に献呈した。
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