信州電気の発足と消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 05:54 UTC 版)
1937年、片倉が社長を務める諏訪電気と取締役を務める安曇電気はそれぞれ臨時株主総会を開き、両社の合併が決議された。諏訪電気を承継法人として安曇電気は解散し、信州電気株式会社と改称。社長に片倉が就任した。資本金は1721万円。本店を東京市京橋区京橋3丁目に置き、下諏訪町と大町に支社を設置した。さらに1938年には黒沢電気工業(南安曇郡小倉村)を買収した。 1938年度の電灯需要家数は6万8962戸、電灯取付個数は23万3363灯で、電力供給量は4万5578kW。県内75市町村を供給区域とした。1939年末現在の発電量は4万1578kW、他社からの受電を含む総発受電量は4万8568kWであった。 信州電気は1941年9月6日、配電統制令に基づき他電力供給事業者の事業を引き取って地域配電会社を設立する中部地方の指定会社2社の1つとなり、伊那電気鉄道など5県の民営各社と静岡市など公営事業者の電気供給事業設備の出資を受け、同じく指定会社となった中部合同電気(岐阜県、東邦電力関連会社)とともに1942年4月1日付けで中部配電株式会社(名古屋市)を設立。同社に統合して消滅した。
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