信州教育への影響
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その後、1928年(昭和3年)研成義塾が創立30周年を祝ったとき、内村は病気のため出席できず、祝辞が代読された。その中で内村は、井口をソクラテス・ペスタロッチ・中江藤樹という内外の偉大な哲人・教育者と並べて評価した。このことにより、教育は人格の問題であり、知識はその次であるという信州教育の本流的発想が教育界に広まることとなり、後の手塚縫蔵、松岡弘をはじめ、信州の多くの教師に影響を与えることになった。 しかし、1932年(昭和7年)10月20日に脳溢血に倒れ、1938年(昭和13年)、県知事に廃校届を発送し許可された。井口はその年の7月21日午後11時30分に69歳で死去した。
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