信州小布施の肉筆画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 18:13 UTC 版)
信州小布施を生地とし造酒業を主とした豪農商にして陽明学等学問にも通じた高井鴻山(文化3年 - 明治16年〈1806年 - 1883年〉)は、江戸での遊学の折、北斎と知り合い、門下となっている。この縁によって数年後の天保13年(1842年)秋、旅の道すがらとでもいった様子で齢83の北斎が小布施の鴻山屋敷を訪れた。鴻山は感激し、アトリエ「碧漪軒(へきいけん)」を建てて厚遇。以来、北斎の当地への訪問は4度にわたり、逗留中は鴻山の全面的援助のもとで肉筆画を手がけ、独自の画境に没入していった。このとき描かれたものが、小布施の町の祭り屋台の天井絵であり、岩松院の天井絵である。
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