信州大学病院時代の活動(1993年〜1999年)
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信州大学での自己免疫性膵炎との出会い 信州大学第二内科学教室では若い医局員が関連病院へ出向すると、経験した興味深い症例を医局に持ち寄って発表し、指導を受ける外勤症例呈示という研修システムがあった。1993年、当時諏訪赤十字病院に外勤していた堀内が膵悪性リンパ腫症例を外勤症例呈示し、討論の中で膵管像より「びまん性膵管狭細型膵炎」の可能性を指摘された。堀内は翌年、仙台での消化器病学会で同症例を発表し、土岐文武医師より「びまん性膵管狭細型膵炎」であると指摘され、本疾患概念を改めて認識し、膵悪性リンパ腫と鑑別困難例として論文発表した。これが信州大学関連第一例目である。 堀内は1995年に帰局し1999年までの在籍期間中、実に精力的に自己免疫性膵炎の臨床研究に力を注いだ。当時、消化器病学会甲信越地方会で他施設より自己免疫性膵炎の発表があると主治医に要請して症例を紹介し、県内症例を積極的に集積して臨床像を多くの論文にまとめあげた。そのおかげで2000年頃には日本国内で最も多い20例近くの症例が集積され、自己免疫性膵炎は長野県に多いので、信州の風土病ではないかとも噂されるようになった。しかし、実情は堀内の努力のおかげであった。その堀内も医局の都合で関連病院へ出向しなければならなくなり、自己免疫性膵炎研究の炎も消えかかりそうになってきた。
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