侮辱事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 00:50 UTC 版)
1938年(昭和13年)11月10日に明治大学で起きた舌禍事件。 「国民精神作興ニ関スル勅語捧読式」が明治大学記念館で挙行され、総長木下友三郎が詔勅を奉読し、次いで指導局長松室孝良が訓示を行ったが、その内容が侮辱的であるとして教授たちの怒りを買った。 「此ノ学校ノ何処ニ学問ノ蘊奥ガアリマスカ、斯様ナモノハ無イデハアリマセヌカ」 「此ノ学校ノ学生ハダラシガナイ、教職員モダラシガナイ、教授諸氏ハ宜シク責任ヲ感ジテ態度ヲ改ムベキデアル」 「明治大学ナドハ迚モ大学トシテノ資格ハ無イノデアリマス」 学生たちの前で面目をつぶされた教授たちは各学部・専門部で教授会を開き、文芸科の岸田国士が「学生の前において指導局長に陳謝せしめよ」と訴えるなど、学内の混乱は数日にわたって続いた。しかし松室は「授業ヲ為サザレバ部長ヲ辞メサセ、各教授ハ之ニ応ゼザレバ片端ヨリ首ニスベシ」と豪語し、謝罪も発言撤回もしなかった。結局、木下総長が「本件の全責任は総長に在り指導局長を相手にする必要なし」として松室の代わりに教授会で謝罪し、騒動はうやむやにされてしまった。 翌年4月19日、松室は指導局長を依願退職して明大を去った(後任の局長は桑名照弐)。その理由は不明だが、前年以来の教職員との対立や、専門部興亜科(新設)の指導監就任案が理事会で否決されたことなどが原因ではないかと考えられている。
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