侍従武官長としてとは? わかりやすく解説

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侍従武官長として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 22:12 UTC 版)

宇佐美興屋」の記事における「侍従武官長として」の解説

1944年昭和19年)から1946年昭和21年)まで侍従長務めた藤田尚徳は、次のように述べている。 宇佐美気骨のある人物で、侍従武官長として職務遂行するにあたり陸軍中央の言いなりには動かなかった。 陸軍中央は意に沿わない宇佐美更迭し、その後任には、温厚な性格知られ蓮沼蕃起用した侍従長藤田と、宇佐美後任侍従武官長である蓮沼は、同時期にそれぞれのにあったが、藤田は、昭和19年 - 20年最悪戦況を、蓮沼昭和天皇正しく伝えていなかったと批判的に評している。 戦後皇室ジャーナリストである河原敏明は、次のように述べている。 1939年昭和13年)、ノモンハン事件の3か月前、海軍軍令部員が満州視察し関東軍満ソ国境25師団配置して戦闘態勢整えていることを知り軍令部総長伏見宮博恭王元帥海軍大将報告した驚いた伏見宮直ちそのこと昭和天皇奏上した。 この件を陸軍から聞いていなかった天皇は、侍従武官長宇佐美呼び陸軍中央出典では「陸軍省」と記載)に、事実関係意図確かめるよう命じた。 しかし宇佐美陸軍中央連絡するともなく天皇が望むような適切な対処をしなかった。 そのこと天皇から聞いた木戸幸一内大臣百武三郎侍従長は、宇佐美面と向かって苦言述べたが、宇佐美は「どうも、こう陸軍陛下御意志との間に距離があっては困ったものだ」と放言した。 宇佐美侍従武官長更迭された。侍従武官長退任する際には天皇から慰労の意味記念品下賜される例であったが、宇佐美への下賜品は異例なほど粗末なもので、また、宇佐美かけられ慰労言葉はごく短いものであった

※この「侍従武官長として」の解説は、「宇佐美興屋」の解説の一部です。
「侍従武官長として」を含む「宇佐美興屋」の記事については、「宇佐美興屋」の概要を参照ください。

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