使役馬時代 - 死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 05:13 UTC 版)
種牡馬引退後、ハードバージは「余生を大事に送らせること」を条件として家畜業者の手に渡ったのち、石狩市の石狩乗馬クラブに引き取られて去勢されるが、実際に乗用馬としての調教を始めてみると乗用馬としての適正がないことが判明。僅か3ヶ月で乗用馬を引退すると、1987年には福井県福井市の観光会社「貿易九谷園」に譲渡された。 譲渡後は、観光客を乗せる引き馬や馬術ショーなどに使役され、同年3月~5月に彦根城で開催された世界古城博覧会のイベントに参加。「中世騎士の騎馬合戦」をテーマにしたホースショーへ参加したが、鎧も含めて90kg以上という重量を背負って行うという過酷なショーで、3週間休みなく参加し続けた後に急激に衰え、飼い葉食いが悪くなった。そして、同年7月に同園乗馬クラブの牧場での放牧中に日射病に罹って死亡した。14歳没。 ハードバージの辿った末路は新聞記事で取り上げられ、名馬の余生を考えるきっかけとなり、やがては競走馬の養老施設や助成制度(功労馬繋養展示事業)が作られる契機となった。その一方で、一流馬の引退後の処遇に対しての中央競馬会の対応を批判する論調もあった。 なお、本馬の全弟には種牡馬となったマチカネイワシミズがいるが、マチカネイワシミズはハードバージの全弟という血統を見込まれて種牡馬入りしたものである。
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