使徒としての働き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/03 09:01 UTC 版)
「トーマス・S・モンソン」の記事における「使徒としての働き」の解説
モンソンは1963年の10月4日に、総大会で12使徒定員として教会員に支えられた。1963年10月10日に、ジョセフ・フィルディング・スミスにより、聖任された。 1965年から1968年までの間、モンソンは南太平洋とオーストラリアの教会を管理していた。その間に、トンガでの最初のステークを組織した。 仕事の経験があったので、KSL NewsradioやBonneville Internationalなど、様々な教会の活動の管理を手伝っていた。彼は、LDS教会のキングジェームズ聖書を出版した聖典出版委員会会長であり、教会の標準聖典を修正したり、ガイドや、参考聖句を入れるなどしていた。そして、教会印刷諮問委員会、宣教師管理委員会、相互福士委員会にも参加していた。使徒として奉仕しながらも、自らも勉強を続け、1974年に経営学の修士号を取ってBrigham Young Universityを卒業した。 のちに、モンソンは東ヨーロッパの教会運営を管理し、ソビエト圏で教会を組織できるように様々な助けを受けた。1982年に東ドイツでの最初のステークを組織していて、東ドイツのフライベルクで神殿を建てる許可を得られるように、大事な役割を果たした。その神殿は1985年に完成した。
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