佐賀城付近にあった蓮池町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 19:25 UTC 版)
なお、この「蓮池町」とは別に、佐賀市の中心部にある佐賀城の城下町の長崎街道沿いに「蓮池町」(はすのいけまち )があった。 こちらの蓮池町は明治22年(1889年)の町村制・市制の施行の際に佐賀市の一部となり、「佐賀市蓮池町」となった。昭和30年(1955年)に神埼郡蓮池町が佐賀市に合併して「佐賀市蓮池町」となると、市内の別の場所に「佐賀市蓮池町」が並立することになったため、昭和36年(1961年)に佐賀市中心部のほうの「蓮池町」は「佐賀市千代町」に改称した。千代町はその後の町丁の再編によって、現在は「佐賀市柳町」の一部となっている。 近世の城下町・蓮池町には主に足軽の住居があったほか、地場の豪商の屋敷があった。なかでも古賀善兵衛という呉服商の名が残っている。幕末から明治にかけて活動した2代目古賀善兵衛はここに屋敷をもち、明治18年(1885年)には屋敷の隣に古賀銀行を創立した。古賀銀行はまもなく第七十二国立銀行を買収合併して規模を拡大、九州五大銀行の一つに数えられるまでになった。古賀邸は豪壮で知られ、50畳の大広間をはじめ15の和室を備えており、地元出身の大隈重信が、佐賀に帰郷するとしばしば古賀邸に滞在したことでも知られている。 しかし古賀銀行は第一次世界大戦後の不況の影響で、大正15年(1926年)に休業となった。古賀邸は売りに出されて料亭となり、銀行の建物は佐賀商工会議所や労働者会館などに転用された。旧古賀邸は平成3年(1991年)に佐賀市の所有となり、料亭となる以前の状態に復元された。これらの建物は、現在は佐賀市歴史民俗館の一部になっていて、佐賀市の重要な歴史的建物(平成7年(1995年)佐賀市重要文化財に指定)に位置づけられている。
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