佐賀家 喜昇(さがのやきしょう、本名・北中浅次郎、1897年-没年不詳〔1980年時点では存命〕)
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大阪の生まれ。生家はうどん店。17歳で東京の落語家の三遊亭圓流の門下で圓幸を名乗り巡業していたが、1-2年ほどで師匠が亡くなったために大阪に戻った。もともと生家が近く親しかったのちの2代目桂春團治、この時点では佐賀家圓蝶の紹介で、俄の佐賀家圓助に弟子入りし、佐賀家喜昇となる。22~23歳の時に砂川捨丸・中村春代の門下の初代砂川芳子と組んで漫才に転向し、俄由来のものまね芸を得意とした(後述)。その後浅田家朝日の門下の2代目浅田家芳子(のちに亭号を旭に変える)とのコンビを経て、3代目旭芳子と組む。 通称「喜イやん(キーやん)」。
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