高砂家ちび助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/22 02:12 UTC 版)
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本名 |
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生年月日 | 1903年 |
没年月日 | 1983年2月2日 |
死没地 | ![]() |
師匠 | 桂小文治 高砂家吉右衛門 |
高砂家 ちび助[1](たかさごや ちびすけ、1903年 - 1983年2月2日)は寄席芸人。東京都出身。本名は森田 辰五郎。
経歴
最初落語家桂小文治の下で桂小助を名乗り修行したが、1921年に茶番(俄)狂言を演じる茶番師の高砂家吉右衛門の門下になり、140センチ程だったといわれている身長の低さから、後に高砂家ちび助と名乗る。
得意ネタは「唖の釣り」「たぬき」等があった。特に小柄な体を生かした、のろまな蝿取り、百面相、寄席踊り等、人があまりやらない珍芸を売りにしていた。
戦前は端席、戦後は花王名人劇場などに出演し人気を博した。
山本益博を聴き手とした芸談が、南博・永井啓夫・小沢昭一編集『芸双書 1 いろどる-色物の世界』(1981年、白水社、NCID BN00509921)に収録されている。
昭和58年(1983年)2月2日、胃潰瘍のため・東京江戸川区の岩井総合病院で死去。七十九歳没[1]。
脚注
出典
- ^ a b 『演劇年報1984年版』早稲田大学出版部、1984年5月、150頁 。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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