伝統的な詩法とイタリア文化の影響
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「フランス・ルネサンスの文学」の記事における「伝統的な詩法とイタリア文化の影響」の解説
フランス・ルネサンス黎明期の詩は、15世紀以来の伝統、すなわちよく練られた韻律上・描写上の試みや、練達な言葉遊びによって特徴付けられる。この担い手となったのは、ジャン・ルメール・ド・ベルジュやジャン・モリネら北部の詩人たちであり、彼らは「グラン・レトリクール」と呼ばれた。 しかし、こうした伝統は、主としてイタリアから様々な動きが流入したことで、根底から揺り動かされた。その動きとは、理想化された恋人に捧げられたソネット集などに特徴付けられるペトラルカの衝撃、ルイージ・アラマンニのようにフランス宮廷で活動したイタリア詩人たちの影響、フィチーノらによるネオプラトニズムや人文主義、そしてピンダロスやアナクレオンといった古代ギリシャ詩人たちの再発見などである。クレマン・マロやメラン・ド・サン=ジュレはフランス詩にソネットを持ち込んだとされるが、上記の諸要素に照らした場合、まだまだ伝統的な形式からの借用が多かったといえる。 新たな動きを最初に十全に取り入れたのは、ジャック・ペルチエ・デュ・マンである。彼は1541年にホラティウスの『アルス・ポエティカ(詩法論)』をフランス語訳した人物であり、1547年にはアンソロジー『詩篇集』を纏めている。ここには、ホメロスの『オデュッセイア』の最初の2篇、ウェルギリウスの『ゲオルギカ』の第一の書、ペトラルカの12篇のソネット、ホラティウスの3篇のオード、マルティアリス式の風刺詩が含まれており、上記の新たな動きを十分に意識していることが明白である。この著書は、2人の若手詩人の詩を最初に公刊したことでも知られている。その2人とは、ロンサールとデュ・ベレーである。
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