伝播・普及から禁教へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 08:52 UTC 版)
平戸にキリスト教(カトリック)が広まったのは、1550年(天文19年)にフランシスコ・ザビエルが来航し布教を始め、領主であった松浦隆信が南蛮貿易のため庇護したことによる。中でも春日集落は松浦氏の家臣でキリシタンになった籠手田安昌・籠手田安経の所領であったため、1558年(弘治4年)より宣教師ガスパル・ヴィレラによって布教が始められた。1561年(永禄4年)にルイス・デ・アルメイダが春日集落を訪れ教会堂を建立したが、その際の様子をイエズス会へ報告した書簡には「春日に到着すると、十字架へ続く道は聖体の行列を待ち受けるときのような有様であった」とある。1565年(永禄8年)には籠手田所領内での一斉改宗もあったが、寺社との確執があり神父を追放。1587年の豊臣秀吉によるバテレン追放令も波及し、平戸各地ではコンフラリア(ポルトガル語版)を組織し神父不在状態で信仰を維持。1599年(慶長4年)の籠手田一族の追放によって教会堂は失われた。
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