会衆制の神学的根拠
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聖書は信仰と日常生活に関する最高の権威であり、新約聖書においては使徒言行録17章11節、テモテへの手紙二3章16節、ペトロの手紙二1章21節では新約聖書時代において旧約聖書を最高権威とする記述がある。 ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。 — 使徒言行録17章11節、『口語訳聖書』より引用。 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 — テモテへの手紙二3章16節、『口語訳聖書』より引用。 なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。 — ペトロの手紙二1章21節、『口語訳聖書』より引用。 新約聖書が正典化され、使徒教父たちが著作を積み重ねていったが、カトリック教会は個人が聖書を読み、解釈するのではなく使徒教父の著作、教会会議の決定、ローマ法王の教条といったものに権威を置くようにしており、宗教改革まで会衆が自分で聖書を読むことがない時代が続いた。しかしルターが一人ひとりの人間が神の前に立ち、イエス・キリストの信仰によって恵みによる救いを受けるべく応答し、隣人の救いに責任を持つ万人祭司の概念を提唱し、信徒と牧師の区別は身分ではなく機能によるものであるとした。この万人祭司の当然の帰結として各個教会における自律性を持ち、牧師、執事、教会内のあるグループなどが教会の組織を勝手に動かしたり支配したりして民主制を否定する行動は取らないのが原則である。 しかし会衆制にも危機が訪れる場合があり、国家からの干渉に抵抗しきれず従わされ、戦争や差別に加担することや教権主義的人物により民主的な教会運営が難しくなり、万人祭司の原則が危機にさらされることがある。自由を守るために万人祭司や会衆制、各個教会主義の意義を確認しつつ自由を守り続ける必要がある。
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