伊勢神戸藩主とは? わかりやすく解説

伊勢神戸藩主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 21:28 UTC 版)

一柳直盛」の記事における「伊勢神戸藩主」の解説

慶長6年1601年)に1万5000石の加増を受け、5万石で伊勢国河曲郡神戸現在の三重県鈴鹿市神戸)に転封された。この加増は、関ヶ原の戦い論功行賞と見なされている。領国内には東海道が通る(東海道そのもの幕府支配)。 慶長7年1602年)、織田信孝時代からの神戸城下「本町四町」に加え萱町竪町鍛冶町町方支配とし、城下町拡張した慶長11年1606年)に、徳川家康秀忠の上洛に従った際には、「石薬師の駅」に迎接のための施設仮設して点茶献上し以後将軍大御所上洛時のとなった。なお、東海道伝馬制度創設され当時四日市宿亀山宿間に宿場置かれておらず、正式に宿場東海道五十三次一つ)となるのは石薬師宿元和2年1616年)、庄野宿寛永元年1624年)である。 慶長15年1610年)の名古屋城築城天下普請従事慶長16年1611年)には伯耆国米子城守衛にあたる。 慶長19年1614年)からの大坂の陣でも功を挙げた以後徳川秀忠家光の上洛や日光社参供奉した。 戦国時代兵火にかかり荒廃していた領内古刹石薬師寺鈴鹿市石薬師町)の再建進め寛永6年1629年)に完成見ている。 寛永10年1633年)には九鬼久隆転封後の鳥羽城守衛命じられている。

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