伊勢千子正真
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桑名住人村正を祖とする伊勢千子派において、正真は正重に次ぐ高弟である。藤代義雄の評価では末古刀上作。 銘は「勢州桑名住千子正真」と切ることもあるというが、実際は「正真」の二字銘が多い。「藤原正真作」と切ることもあるらしく、『土屋押形』に載る「藤原正真作 大永六年八月十二日」(大永6年=1526年)銘の刀は、同書では三河文殊正真とされているが、福永酔剣は千子正真の作だろうとしている。また、「藤原正真作 永正十二年三月日」(永正12年=1515年)の銘がある千子正真もあるという。 作風は「作品短刀多く、その直刃は腰乱がある」。藤代義雄は、正真は千子派ではあるが作風はそこまで村正に近くはなく、千子正真と言われる刀工は複数いたのではないか、村正とは国が違うのではないか、と疑問を呈している。実際、楠木氏の系図では、二代正重は伊勢ではなく大和や河内で活動している。 酒井忠次の愛刀で七男の松平甚三郎(庄内藩主席家老)の家系に伝わる猪切(いのししぎり)は、千子正真の作である(銘は「正真」の二字)。若かりし頃の家康が伴を連れて狩りに出た時、忠次がこの千子正真で猪を斬ったので、茎に「猪切」の金象嵌を入れたのだという。その他、「刀 銘正真」一振りが三重県有形文化財となっている。 また、平安城長吉が伊勢に来た時、二人で合作を作ったという。 千子派の正真を三河文殊派の正真(=蜻蛉切の作者の藤原正真)と同一視する説は、古い刀剣書ではあまり見られないが、『新刀古刀大鑑』では千子正真と金房正真と文殊正真は全て同一とされる。また、『掌中古刀銘鑑』のように、千子派の一門に正真を書かない文献もある。
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