企業民主化提案と大塚万丈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 08:09 UTC 版)
「経済同友会」の記事における「企業民主化提案と大塚万丈」の解説
戦後GHQはポツダム宣言に基づき、経済の民主化を推し進めていった。同友会としても議論・見解を整理する必要に迫られ、1947年1月に大塚万丈を委員長とする経済民主化委員会を発足させた。大塚は精力的に調査活動を進め、企業活動の中心は株主でなく経営者に置かれるべきであるとしたジェームズ・バーナムの『経営者革命』などを参考にして試案をまとめ、同年8月に「修正資本主義の構想」という表題で起草された。 大塚試案は企業の民主化改革を大胆に謳ったもので、 企業は経営、資本、労働の三者で構成される協同体とする 企業の最高意思決定機関として「企業総会」を置き、経営、資本、労働の三者の代表で構成する 企業利潤の分配は、経営、資本、労働の三者が対等の権利を有する という画期的な内容であった。しかし、あまりにもラディカルであったため、財界の保守派から資本主義の否定につながると批判を浴び、同友会内部でも青木均一や磯村乙巳らの保守派は激しく反発した。事態収拾のため、大塚試案については同友会見解として機関決定しないこととした。全体の合意を得るには至らなかったものの、流行語となった「修正資本主義」という言葉とともに、同友会の進歩性を大きく世間に印象付けることとなった。またこれ以後、労使協調をベースに問題の解決を図る姿勢が同友会に定着することとなり、大塚試案が果たした役割は決して小さいものではなかったといえる。
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