仏教における説明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 00:09 UTC 版)
仏教における因果(いんが)は、因(梵, 巴: hetu)と果 (phala)による熟語。仏教では、一切の存在は本来は善悪無記であると捉え、業に基づく輪廻の世界では、苦楽が応報すると説かれている。一切は、直接的要因(因)と間接的要因(縁)により生じるとされ、「無因論」「神による創造」などは否定される。 また、「原因に縁って結果が起きる」という法則を、縁起と呼ぶ。縁起の解釈は流派によって異なり、「縁起説」とも呼ばれている。善因には善果、悪因には悪果が訪れるという業の因果の法則が説かれている。 Katamā ca bhikkhave, micchādiṭṭhi: ..... natthi sukaṭadukkaṭānaṃ kammānaṃ phalaṃ vipāko,.... Ayaṃ bhikkhave, micchādiṭṭhi. 比丘たちよ。邪見とは何か。.... 善悪の業の果である異熟(=果報)はない。.... 比丘たちよ、これが邪見である。 —パーリ仏典, 中部大四十経, Sri Lanka Tripitaka Project 仏教において因果は次のように説かれる。 善因楽果(ぜんいんらっか)…善が楽をうむ(善因善果ともいう) 悪因苦果(あくいんくか)…悪が苦をうむ(悪因悪果ともいう) 因は善あるいは不善(悪)であり、果は楽であれ苦であれ無覆無記となることについて、因から果が異なって熟することを異熟果と呼ぶ。 単純に「善因楽果・悪因苦果」について“善いことをすれば良いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こる”と解説される場合があるが、因と果は、数えきれないほどの過去における生を想定する概念であるために、その機序は複雑であり、今生の因が今生で果となるとは限らない。また、「良いことをすれば思い通りのことが起きる」という独自な教えを説く団体もあるが、厳密には正確な解釈ではない。
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