今日も残るフランスの遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 06:14 UTC 版)
「フランス領ルイジアナ」の記事における「今日も残るフランスの遺産」の解説
フランスによるルイジアナの植民地化は、今日でも重要な意味を持つ文化的遺産を残した。フランス語とケイジャン語の継承は危機的状況になってきた。このために「ルイジアナにおけるフランス語の発展のための委員会」が1968年に創られた。議論の対象は、教えられるべきフランス語の方言、すなわちフランス語そのもの、カナダのフランス語、標準的ルイジアナのフランス語、あるいはケイジャン・フランス語である。今日、ルイジアナのケイジャンの多い地域ではカナダのアカディア人社会との協力関係を作り、学校で言語を再教育する教授を送って貰っている。2003年では、ルイジアナの人口の7%はフランス語を話し、他の多くは英語を母語としている。ルイジアナ州の人口の25%はフランス人を先祖に持ち、その姓がフランス起源となっている。 多くの市や村の名前もフランス起源となっている。例えば、セントルイス、デトロイト、バトンルージュ、ニューオーリンズおよびモービルである。ミネソタ州の州旗および州章はフランス起源である。歴史的なお祭りや記念行事はフランスの影が反映される。1999年、ルイジアナは設立から300周年を祝った。2001年、デトロイトも同様だった。2003年、ルイジアナ買収から200周年が祝われ、多くの行事や歴史を想起する公式の会議が開かれた。特定の場所にはフランスが残した文化的遺産を見聞できるものがある。最初に上げられる例がニューオーリンズ市内のフレンチ・クォーターである。フランス人が造った多くの砦も再建され観光客に公開されている。 ルイジアナ州の民事法体系はアメリカ合衆国の中で唯一、コモンロー系(英米法)ではなく、大陸法系であり特にフランス民法をベースにしている。 ルイジアナの文化の重要な部分は、フランス領時代にその根を見いだすことができる。クレオールの歌はブルースやジャズに影響を与えた。ケイジャン音楽はフランス語で歌われることが多く、今日でも生き残っている。ニューオーリンズのカーニバルはマルディ・グラで最高潮に達するが、長いローマ・カトリックの伝統を残したものである。
※この「今日も残るフランスの遺産」の解説は、「フランス領ルイジアナ」の解説の一部です。
「今日も残るフランスの遺産」を含む「フランス領ルイジアナ」の記事については、「フランス領ルイジアナ」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から今日も残るフランスの遺産を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から今日も残るフランスの遺産 を検索
- 今日も残るフランスの遺産のページへのリンク