人種差別の否定、とする解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 14:32 UTC 版)
「善きサマリア人のたとえ」の記事における「人種差別の否定、とする解釈」の解説
マーティン・ガードナーとマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、共にこの逸話を人種差別否定の思想として紹介している。 ガードナーは著書『奇妙な論理〈1〉—だまされやすさの研究』(早川書房、ISBN 4150502722)において「イエスが愛されるべき真の「隣人」の例としてサマリア人を選んだのは、古代エルサレムではサマリア人は軽蔑された少数民族だったからだということを、悟る人はほとんどいない」(136頁)と指摘。(原著は1952年のアメリカ合衆国で出版されたものなので、その当時の読者に対し)「「サマリア人」のかわりに「黒人」をおいたときはじめて、あなたはこのたとえ話の意味を、当時キリストのことばをきいた人々が理解したとおりに、理解するはずである」(前掲、同)と述べた。 また、キングの『愛するための強さ』によれば、黒人差別の実態として、ある黒人大学生バスケットボールチームの交通事故の例を挙げている。3人が負傷し、救急車が呼ばれたが、白人の隊員は「黒人にサービスするのは私の方針ではない」と搬送を拒んだ。通りすがりの運転手に搬送を引き受ける者がいたが、搬送先の病院の医者は「われわれはくろんぼをこの病院には入れない」と受け入れを拒んだ。やむなく50マイル離れた黒人専用病院に搬送したが、既に1人は死んでおり、残る2人も30分後に息を引き取ったという。これは、救急隊員や医者が特に悪人なのではなく、ただ黒人の隣人になることを拒んだということなのである。1968年4月3日(キング暗殺の前日)には、「レビ人は、『もしわたしが旅人を助けるために止まったならば、わたしはどうなるか』という疑問を持ち、サマリア人は逆に、『もしわたしが旅人を助けなかったならば、彼はどうなってしまうか』という疑問を持ったのです」と指摘している。
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