人種差別への憤怒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:00 UTC 版)
「ジョージ6世 (イギリス王)」の記事における「人種差別への憤怒」の解説
1947年に国王ジョージ6世一家は、連邦構成国である南アフリカ(現在の南アフリカ共和国)を公式訪問した。翌年に総選挙を控えていた南アフリカ連邦首相のヤン・スマッツは、このイギリス国王一家訪問を政治的に利用することを考えていた。 しかしながらジョージ6世は、人種差別的政策を行う南アフリカ連邦政府から白人(ヨーロッパ系)とのみ握手するよう要求されたことに愕然とし、連邦政府から自身につけられた護衛官たちを、ナチス・ドイツの秘密警察だった「ゲシュタポ」と称して非難している。また、南アフリカ連邦政府から、現地人たる黒人の叙勲者に対して直接勲章を授与することも拒否され、「あいつら(白人の政府関係者)を全員射殺したい」と漏らした。 なおスマッツは1948年の総選挙 (en:South African general election, 1948) で敗北し、新たな首相ダニエル・フランソワ・マランは人種間差別政策アパルトヘイトを確立した。この事により南アフリカは1961年にイギリス連邦から追放されている。
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