人口推移と人口密度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 09:18 UTC 版)
「ザウアーラント」の記事における「人口推移と人口密度」の解説
1950年から2017年までの人口推移(2005年時点の郡域にあたる地域の人口)郡1950年1961年1970年1987年2004年2017年ホーホザウアーラント郡 226,063 237,565 263,920 260,265 277,715 261,591 メルキッシャー郡 343,600 399,213 432,405 421,321 451,421 413,383 オルペ郡 97,831 108,138 119,184 125,142 142,140 134,808 ゾースト郡 222,459 213,687 257,030 266,693 309,013 301,693 ザウアーラントは、どちらかと言えば人口密度の低い地域とみなされている。しかし経済発展に依存して、人口密度には大きな違いがある。 人口増加や人口密度は総じて東西で大きな差がある。現在のメルキッシャー郡の古くからの工業地域では、19世紀にホーホザウアーラントからも含め多くの移住者の流入があり、顕著な人口増加があった。ここでは、ルール地方がまだ工業による人口集中地域ではなかった時代から、鉄鉱石が採掘され、木炭を燃料とした精錬が行われていた(たとえば、ヴォックルムのルイーゼン精錬所など)。1870年以後、現在のホーホザウアーラント郡北西部(特にネーハイムやヒュステン)も発展の遅れを挽回した。 2004年の人口密度郡人口密度(人/km2)ホーホザウアーラント郡 133.5 メルキッシャー郡 389.6 オルペ郡 189.3 ゾースト郡 227.1 ノルトラインヴェストファーレン州全体 525.1 これに対して、現在のホーホザウアーラント郡、オルペ郡、ゾースト郡といった工業化の進んでいない地域は人口流出地域であり、人口増加は少ない。ブリーロンの郡長は1870年代初めに、1845年から1864年までの間だけで500人以上がアメリカに移住したと算出した。高度工業化の時代になると、隣接する工業地域への移住が行われるようになり、海外への移住は減少していった。早くも1860年代の初めには、海を越える移住者は約180人だけで、600人以上がプロイセン国内での移住であった。その目的地は、ザウアーラント西部やルール地方の工業地域であった。 20世紀になると経済格差は縮小したが、人口密度は依然大きく異なっていた。メルキッシャー郡の人口密度はノルトライン=ヴェストファーレン州の平均をわずかに上回っていたが、特にホーホザウアーラント郡は何倍も少ない値であった。ここでは、2つの大都市アルンスベルクとメシェデとの間、およびズンデルン方面のレールタールが最大である。 一般に2004年から顕著な人口減少が見られる。2012年のホーホザウアーラント郡の人口は 263,720人、メルキッシャー郡の人口は 419,976人であった。ノルトライン=ヴェストファーレン州情報技術局は、たとえばホーホザウアーラント郡の人口は2014年から2025年までに 6.5 % 減少し(約1.6万人に相当する)、メルキッシャー郡は同じ期間に 8.9 % 減少する(約3.7万人に相当する)と予想している。人口統計推移に基づく州機関の推測では、労働者人口の減少はさらに顕著であるとされる。
※この「人口推移と人口密度」の解説は、「ザウアーラント」の解説の一部です。
「人口推移と人口密度」を含む「ザウアーラント」の記事については、「ザウアーラント」の概要を参照ください。
- 人口推移と人口密度のページへのリンク