京都市電気局・京阪神急行電鉄
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「鉄道による糞尿輸送」の記事における「京都市電気局・京阪神急行電鉄」の解説
京阪神急行電鉄は、阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が1943年に戦時統合で統合されて誕生した会社で、戦後再分離して現在の阪急電鉄と京阪電気鉄道になった。同社における糞尿輸送は、旧京阪の大津線区において京都市電気局(現・京都市交通局)=京都市電と連携して行われた。 輸送が行われたのは太平洋戦争末期の1945年4月5日から終戦後間もない1946年8月までの間で、京都市電500形540号を改造した荷物電車と京津線所属の無蓋電動貨車28号を使用して、京津線及び石山坂本線で行われた。自社の車両のみならず京都市電の車両も使用されたのは、運搬したのが京都市民の排泄物であり、京都市域での農業生産で不足する野菜の生産に役立てるとともに、帰路で野菜の運搬を実施したためである。 運行は、京都市電の東山仁王門電停と休止された蹴上線円勝寺町電停に積込所を設け、東山三条電停(京阪神急行側は当時は古川町)に設けられた連絡線から京津線に入り、浜大津駅を経て粟津駅まで運んでいた。540号を使用した場合、京津線の急勾配でモーターが過熱することから、途中四宮駅で長時間停車してモーターの過熱を防いでいた。また、両社局は乗り入れ区間に応じて使用料を支払っていたが、東山三条-粟津間と他社乗り入れ区間の長い540号を使用した場合は、京阪神急行電鉄側が支払う1回当たりの使用料が1円77銭だったのに対し、28号の場合では他社乗り入れ区間が数百mにしか過ぎないことから、京都市側が支払う1回当たりの使用料は24銭であった。
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